flat7th

memo/20111002

created 2011-10-02 modified 2011-10-03 

家族と、箱根の彫刻の森美術館を見学しました。
以前とはいろいろと配置が変わっていた。

網を使った巨大遊具、
ポリカーボネイトを使った巨大遊具、
それから室内の遊具も、
子供たちはいい顔で楽しんでいた。

リンク備考
箱根 彫刻の森 美術館






樋口有介さんの「ピース」。まだ読み終わらない。

リンク備考
Amazon 樋口有介 ピース (文庫)

樋口さんの本にしては暗鬱とした部分が多めににじみ出ていて(だってバラバラ事件なんて、初めてでは?)、なかなか読む手が進まない。
ただ、マスターの甥っ子が、独りドライブ先で偶然出会った老人と語り合う下りは、なんか好きな感じだった。
学生のころの出来事を、思い出した。



学生のとき、ちょっとだけ自転車競技をやっていた。
高校3年の最後、私は推薦枠を使って妥協ぎみの学校選びをして、1月には受験を終えていたので、残った時間でたっぷりとアルバイトをした。バイトの目的は明確だった。ロードレーサーが欲しかったのだ。

京産大の自転車競技部は、たいしたコーチがいないのに強いという、変なクラブだった。学校のすぐ裏が自転車ツーリングにもってこいの山だし、その他にも、走る場所にはまったく困らない場所だったから、今にして思えば環境がよかったのだろう。体育会なので、平日は1日30km、水曜と土曜は100kmほど、みっちり走る。あるとき、あれは土曜だったか、福井のどこかで集団走行についていけなくなってはぐれてしまい、途方にくれたことがある。まあ走っていればなんとかなる、程度の気持ちで、実際、無事に大学まで帰り着いた。

結局、自転車競技部はやめてしまったのだが、だいぶ後になって250ccのバイクを手に入れてから、同じあたりを走り回ってみた。ずいぶん遠くまで自転車で来たもんだと、なかば呆れたのを思い出す。
知らない道で最初にさまよったときと、後でバイクで走ったときと、そのどちらも、孤独・不安と、自由・気楽さの入り混じった、なんとも表現しづらい感覚になったことを思い出した。

今私は個人事業でプログラマーをやっている訳だが、一人でやっていると、自分の力のあるところ、ないところ、こだわりとわがままの境目などが、たびたびわからなくなる。家庭を持って、責任ができて、それでもときどき、いやむしろ今現在も、あのときのような「孤独の不安と自由な気楽さ」を感じているように思う。
樋口さんの小説を読んでいて、ふと思い出したことでありますよ。