flat7th

memo/20230506

created 2023-05-06 modified 2023-05-24 

SNS抜けに挑戦している。

push系のメディアを見ていると、自分の心がアグレッシブな人に持っていかれる気がするのです。
pull系のメディアを、山で野草を採取するように見る方が、いくらか自分の心が平和になるかもしれないと思って。



それで、一部のアグレッシブな方の通知で脳があふれる状況を脱したら、昔の友人たちはどうしているだろうか、と気になって一通り眺めてみた。

他人を見て、自分を振り返って思ったのは、学生のころから、「考え方」というか、思考の傾向は変わっていないなということ。

もしかしたら、学生どころか、生まれたときからなのかもしれない。
知識やスキルは(精神的なものとか、対人関係とかも含めて)増えるけど、根にある問題は全く変わっていなくて。
きっと死ぬまでこのまま変われない、変わらないのだろうな、などと思う。

でも、それしかできない。
それでいい、というか、本当にそれしかできなくてそれで死んでいくしかないのだという直感を得たことでした。

SNS抜けをしてどうしたいかというと、やっぱりこういう「一方向的な」文書の書き方のほうが自分には向いているなと。



前にも少し書いたのだけど、弾き語りのライブって、バンドのライブみたいな「合奏する」気持ちよさってないのです。
だけど、普段から鬱々と考えていることを歌詞にして曲にして楽器伴奏を練習して、ライブする。
すると、何かを自分の外に出せる気がする。

それを、その場ですぐに、ああだとか、こうだとか、返してくれるものっていうのは少ないというか。
バンドでのライブ活動より、遅くなると思うのね。

弾き語りって、1回のライブは「誰に届くか分からない手紙を書いて、ボトルに入れて海に流す行為」みたいだなと。



SNSは、バンド演奏のライブをやるみたいな感じ。応答も早いのだけど、それが好きか嫌いか、向いているか向いていないかは人によってある。
Webサイトに日記を書くのは弾き語りみたいな感じ。応答は、ほぼ無いの。でも、好きか嫌いか、向いている・いないは人によってあると思うんですよ。

* 日々のメモ