flat7th

music/20140407

created 2014-04-07 modified 2014-04-07 

僕らが歌をつくるとき、
歌詞は想像で書いていいので、
限りなく自由なはず。
それこそ
三日月に腰掛けたり、
イルカになって海を泳いだり、

何にでもなれるはずなんだ、歌の中では。

でも何かが僕を引き留める。
発想が不自由になる。

なんで?

それは多分、冷徹な分析屋がいるからだ。


こんな自分なんて、
たかが自分なんて、

冷静に考えたら、自己評価って凄く低くなる。
小さな自分は、コンプレックスの固まりだ。

けど、自己評価が不当に低い事が、
私という生き物に、余計な不幸せを背負い込ませている…かも知れない。


ある時、ちゃんとご飯を食べない事は、ペット虐待と同じ事だと気づいた。

人は皆、身体を持っていて。
身体を持つ生き物は、他の命を食べなければ死んでしまう。
僕は身体を持った、ただの生き物であって。

ペットに何を食べさせるかは、飼い主の責任。
食べ物を、与えなくても、与え過ぎても、飼い主が虐待してる事になる。

自分自身の肉体にエサをやるのは自分自身。
食べ物を、与えなくても、与え過ぎても、自分自身を虐待してる事になる。


じゃその次に話を進めよう。

部下をいつも叱ってばかり、褒めてやらない上司なら、
そんなところで働きたくない。
有能な人から辞めていくから、職場はいつも、回らない。


君は君を褒めていますか?
お疲れ様ってねぎらえるかな?
僕は僕を褒めているかな?
真っ直ぐに見てあげてるかな?


自分の事は、本当はよく分からない。
嫌な所が、全部見え過ぎていて。


じゃあせめて歌を、歌うときは、
格好いい自分でいさせてあげよう。
女の子を大事に守る、白馬の騎士でいさせてあげよう。
世界を変える事ができる、黒タートルにジーンズの男でいさせてあげよう。

そんなの無理だあり得ないって
恥ずかしい妄想だって
頭の隅で誰かが言う

だけど、そんな誰かのために、僕は歌を歌う訳じゃない
このプロジェクトの想定顧客は、ひねくれたへそ曲がりなんかじゃない


それで僕は気づいたんだ。
本当の所、
僕は僕に素敵な歌を
歌ってあげたかったんだ。
僕は格好いい僕の歌を
歌って欲しかったんだ。


僕らが歌をつくるとき、
もっと僕らは自由でいいはず。


@music