flat7th

memo/20110306

created 2011-03-06 modified 2011-03-11 

あくまで例えばの話なんですけど、
例えば仕事でケータイキャリアのパケット交換システムの一部を作って、良く練ったフレームワークを作って、バグ率もそこそこで、要求性能の9倍を出しても、ほとんど誰も感謝してくれなくて放っておかれるし、
例えば仕事で文書登録システムの一部を作って、ホスト間通信フレームワーク部分を一人で作り上げ、プロジェクトでトップの生産性をあげても、ほとんど誰も感謝してくれなくてプロジェクトをたらい回しにされるし、
例えば仕事で護衛艦のシステムの一部を作って、1年で2人で36kstep作って、つまり一人当たりベテランの1.5人分以上の働きをして、バグ率も低く、速度要件を満たしても、ほとんど誰も感謝してくれなくてプロジェクトから放り出されるうえに、
例えば正社員を連続で病院送りにして産業医から目をつけられてる部署に回され、単価も下げられ、無茶なスケジュールの徹夜仕事で追い込まれるようなことがあったりなかったりした場合、
自分がやったことは一体何だったのか、誰かの為になったのかと深夜に考え込んでしまう訳ですが、

javascriptなんかでちっぽけなミニゲームを作ると、目の前で子供が面白がってくれるのがすごく嬉しくて、仕事量と感謝のされ方のギャップに非常に戸惑うのです。

2個目できました。↓
+ Canvasでミニゲーム

作ったものを誰かが喜んでくれる様を見るのって、こんなに嬉しいことだったんですね。しみじみ。


ていうか、プログラムできっちり成果出してるのにこれだけ冷遇されるからには、自分の仕事のやり方に、何かまずい点があるに違いない... と反省するのですが、いまいち確信が持てない。分からない。

対人コミュニケーションのやり方がまずい?
仕事への変なこだわりで使い辛い?
PMの気に障ることを言った?


分相応のいい仕事をしたい、という想いが、空回りしている気がしてならない。見た目で若く見られて軽んじられている気がしてならない。でもそれも本当のところがどうなのか、分からない。

考え込んでるとハゲます。冗談でなく。
どう生きたらいいのやら。




3/11追記

映画「ソーシャルネットワーク」を見て思ったこと。主人公は、訴訟してきた兄弟にこういいたかったんじゃないかと勝手に想像しました。

「アイデアがあろうとオマエじゃ作れなかっただろ? オレは作れたんだよ、こっちとそっちの間には深くて広い河があるんだよ」と。

なんか自分の過去の経験を重ね合わせてしまって、映画館でむず痒い思いをしましたよ。


私が独立するきっかけとなった「あるプログラム」について、そのときに籍を置かせてもらっていた会社から「ソースを置いていけ」と言われたときに、

「別にいいよ、アイデアも分かってて、ソースがあったとしても、この速さで動くこのプログラムを私がゼロから作った事実は消えないし、そこらにいるプログラマじゃ同じものは作れんよ」

と心の中だけでつぶやいて、誰にも言わずこらえたことを、ふと思い出しました。


実装者に対する社会的地位が向上することを静かに願っています。